中南米暦15年の店主がメキシコ雑貨の魅力を伝授!

メキシコで最も愛されている存在「聖母グアダルーペ」とグアダルーペの日

Hola!

メキシコ雑貨こらそん店主の貴子です。

メキシコでは、クリスマスシーズン直前に絶対に欠かせないお祝いの日があります。

毎年12月12日の、メキシコで最も愛されている褐色の「聖母グアダルーペ」の日。

キリスト教に馴染みがなければ、いまいちよく分からない方も多いのではないでしょうか。

何にも知らずに「グアダルーペの日」にメキシコを訪れると、

貴子

何やら騒がしいけど、今日って一体なんなの?!

となります。汗

そこで今回は、メキシコ全土で盛大に祝福されるこの特別な日について、解説していきます♪

この記事の内容はこんな方へお勧め!

◎12月12日にメキシコに滞在する方
◎宗教関係なくマリア様が好きな方
◎グアダルーペについて興味がある方

この記事を書いたのはこんな人
  • メキシコ在住4年&グアテマラ在住4年の中南米歴15年
  • メキシコのオアハカでゲストハウスを運営し出産を経験
  • 現在は北海道にてメキシコ雑貨屋さんを運営
もくじ

「聖母グアダルーペ」って誰?

「聖母グアダルーペ」とは、メキシコの守護聖人で「マリア様」のことを指します。
正確には「Virgen de Guadalupe」と呼ばれ、「グアダルーペ」の愛称で大切にされています。

一般的に有名なイエス・キリストの母親「マリア様」と同一人物ですが、メキシコの「聖母グアダルーペ」は褐色の肌をしていることから並々ならぬ愛情を受け、助けてもらいたい時に頼りにされている、メキシコで最も愛されている存在です。

聖母グアダルーペ出現の伝説

同じマリア様なのに、なぜメキシコのマリア様は褐色の肌をしていて「聖母グアダルーペ」と、呼ばれているのでしょうか?
だんご

その答えは、メキシコでの「マリア様」出現ヒストリーに関係してるよ!

聖母グアダルーペの出現は、1531年のメキシコシティ北部のある丘で起こったとされており、メキシコの宗教と文化において、さまざまな伝説が結びついています。
貴子

以下解説するのは、その中でも特に知られる伝説の一部です。

ファン・ディエゴとの出会い

アステカ帝国の滅亡から10年後の1531年12月9日、メキシコ郊外のテペヤックの丘での事。

先住民の男性であるフアン・ディエゴがその丘に向かって旅をしていた時です。
褐色の肌を持つ女性が、突如出現しました。

この女性が後の「聖母グアダルーペ」です。

褐色肌のワケ

当時、メキシコの先住民は褐色の肌を持つ豊穣と母性の女神「トナンツィン」を信仰していました。
ナワトル語で「われらの母」を意味します。

トナンツィンは、アステカの創造神であるオメテオトルの妻として、また、太陽神であるトナティウの母として、大地や山、そして火山の女神としても信仰されていました。

豊穣の象徴としてアステカの農業や豊作に深く関わり、母性や慈愛の象徴として女性や子供の守護神として、多くの人々から絶大なる信頼を寄せられていたんだそう。

その為、「聖母グアダルーペ」と結びつけて信仰しやすくなったと考えられています。

また、スペイン人に征服されていたメキシコでは先住民の人口が圧倒的に多かった為、褐色の肌の聖母は先住民にも信仰を集めていき、メキシコのみならずラテンアメリカ全土へと広がっていったとも言われています。

「グアダルーペ」と呼ばれるワケ

出現したメキシコ郊外の地域は、先住民の言葉で「テペヤック」または「テペヤク」などと呼ばれていました。

しかし、スペイン語においては「Guadalupe」と綴られ、これが聖母マリアに対して使用された名前として定着したと言われています。
貴子

他にも、スペインのエストレマドゥーラ地方にある、「グアダルーペ修道院」に由来しているという説もあります。

聖母マリアの出現

後光を放ちアステカの民族衣装をまとったその女性が、叔父の病気回復を願う為ミサへ行く道中のファン・ディエゴに話しかけました。

「私は、聖母マリア。この地に聖堂を建ててほしいと司教に伝えて欲しい。」と。

ディエゴは司教にその事を話し、教会を建てるように頼みましたが、司教は聖母の存在を信じず証拠を求め、応じてくれませんでした。

グアダルーペの奇跡

のちの「グアダルーペの日」となる12月12日。

再び彼女がディエゴの前に現れ、冬には咲かないはずの薔薇を与えました。
更に、病気で苦しむの叔父の回復を告げたのです。

ディエゴは司教にその事を告げ、証拠の薔薇を包んでいたマントを開きました。
すると薔薇が床に落ち、マントには聖母マリアの姿が映し出されたのです。
特に、彼女の目はマントを見つめる人々に、光り輝いて見えたとされています。

「薔薇の花」という説は、1920年代にメキシコの歴史家であるフェリペ・フェルナンデス・ディアスが唱えたものです。

しかし昨今、「フアン・ディエゴの証言や、マントの布の分析結果と矛盾する」として疑問を持たれています。

現在では、「アザミの花がグアダルーペの聖母の出現に関連する花であるとする」と言うのが、一般的に受け入れられているようですが、当時は薔薇の花と信じられていました。

また、「花は聖母が山で摘むよう指示した」という説や

「聖母マリアの姿を自分のマントで写し取った」と言う説もあります。

これが、「グアダルーペ聖母の奇跡」と言われる所以です。

グアダルーペ大聖堂建設

それらの奇跡を目の当たりにした司教は聖母の存在を信じ、大聖堂の建設を命じました。

またディエゴは、聖母マリアの言う通り病気の叔父が回復した事を目の当たりにしました。
そして、聖母マリアの希望通りこの地に聖堂が建てらたのです。

これが現在でも巡礼地として知られるグアダルーペ聖堂です。

グアダルーペ大聖堂

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